リーダー不在

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(当記事は6月に管内閣の内閣不信任案が提出された際に別サイトで寄稿したもの)

 政争の愚にあきれるばかりだが、もともと期待はしていない。

政治というのは、どうしたらまともになるのだろうか。


小泉改革以来、「抜本的な改革」という体のいい言葉がよくつかわれるようになった。

「抜本的な改革」というと、とても美しい姿に生まれ変わるかのような印象を持つが、この言葉自体は何も解決策を説明していない。

極めて抽象的な言葉だ。


企業を例にとると、「抜本的な改革」が行われたという場合、ほとんどの場合が結果論にすぎない。

一つの小さな改善策が、想像もしていないほどいろんな箇所に波及的に影響を与え、全てを覆すような改革につながることがある。

ただ、それだけだ。



「少なくとも抜本的な見直しが必要だ。廃止!!」

事業仕分けでよくつかわれた言葉かもしれない。

しかし、抜本的な見直し⇒一つ一つを見直ししたところで、見直しをする人が同じならば、かわらない。

グータラ公務員でも、それなりの業務改善をしてきているだろう。または、今までも全く改善事項を見つける能力がなかったし、これからも発見されないかもしれない。

結果、「見直しましたが問題点もありませんし、改善策もありません、でも必要なので名前を変えてまた計上します。」

縦割りの中では、優先順位という一刀両断はできないのだろう。



「頭を挿げ替えろ」

頭が変われば良くなるのか?

これはそもそも、トップダウンが根強い欧米の思考だ。日本的ではない。

日本の思考は極めてネガティブだ。マスコミが大好きな「責任は?進退は?」。まったくもって意味がなく、解決策を示していない。


トップに必要なのは、判断力だ。

優先順位を明確にし、優先事項に資源を集中し、それ以外は最小限に抑える、その判断力。

これは、鍛えれば身につくものだし、実践可能なものだ。



そして、発言には、実現可能性が担保されていること。

実務はやはり官僚の仕事だ。

官僚の幅広い見識を用いて、多角的な意見を集約することが必要だろう。

突き放すだけでは、価値を生まない。共存すべきものだ。



すでに民主党のお試し期間は終わっている。

今、政治の抜本的な改革が必要だwww

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